浦田健志を知るための5つの覚書(4)

<音楽>

「あなたにとって音楽とは?」的な質問される事がある。

私はCDもほとんど買わないし、家でもまったくといっていい程音楽を聴かない。

そういった意味では趣味とは言えない。

か、といって嫌いなわけはモチロンない。

充分に私の一部になっているのだ。

私は音楽を職業にしたいと思っているが、それに対して時々コンプレックスを感じることがある。

「音楽やってるやつなんて軟弱じゃん」ってのが、そもそもの始まりである。

「ちょっと楽器ができたくらいで女にチヤホヤされていい気になりやがって」

「ミュージシャンって事が偉いとか、スゴイとか勘違いしやがって」

「音楽とったら大した男じゃないくせによ」

的な奴をよく見かけるのだ。一緒にされたくない。

ならば過程でキチンと「硬派にやってやろうじゃねぇか」

って思っているのだが・・・。


だけど、そんなこんなを抱きながらも音楽にしがみついてて、それでいながらも

「仕事なにやってんの?」という軽い会話でも「ミュージシャン」と答えられない私がいるわけで。

ジョークのフリして「保健所」とか「探偵」なんて言ってその場をしのいでるが、

あれはジョークなんかではない。

「ミュージシャン」とは答えられないのだ。

なぜなら、音楽だけで充分に生計をたてられてるわけじゃないからだ。

「自称ミュージシャン」をあざけ笑いながらも自分の姿を見ているのかもしれない。

どでかい塊です。このコンプレックスは。


「あなたにとって音楽とは?」

私は「手段」と答える。「浦田健志」を生かす「手段」なのだ。

ステージに立った時、輝く「浦田健志」を私は知っている。

もしそのステージが歌ではなく役者であったならそれもいいだろう。

事務職にそれを見出せたらそこに向かうだろう。

現在は歌を作る事で自分を確認し、唄うことで存在理由を求めている。

私にとって音楽とはそういうものだ。一番正直になれる聖域でもある。

そう、わたしは花火師なのだ。“あちゃこ”である。

満天の星空の中、どデカく輝く「浦田健志」という花火を打ち上げるために

あがきながら生きてる、“あちゃこ”なのだ。

それが最大の興味だし、生きる証しとなる。

現在の私にとって音楽とは、導火線となる手段なのだ。

もし、その導火線を失ってしまった場合、それは死を意味する。