浦田健志を知るための5つの覚書(3)

<悔しかったこと>

今までの音楽活動において悔しかった事など死ぬほどあるけど(そんなことばかりだ)、

その中でも一番悔しかった出来事を話します。


『W』という事務所にいた時の事だ。

ダイビング仲間の船上パーティーってやつで唄った仕事だ。

いや、あれは仕事じゃない。金銭は一切派生しないものだった。

そのダイビング仲間の一人が『W』の会計士で、

『W』の社長兼マネージャーのK氏(彼はその後、尾崎豊の本で名を売った)が

男気をだしたつもりなのか、いい顔をしたかったのか、安易に引き受けたものだった。

しかも条件つきである。

「みんな海好きだから加山雄三の<光進丸>と<海>を前後にはさんでくれ」と言うのだ。

「きっと大合唱になるから」と。

もちろん反対した。そこで唄うのは私である必要はないのだ。

誰でもよかったのだ。私では不釣合いもいいところだ。


K氏はそれでも私に頼んだ。

私は質問した。「それをやる事は事務所の為になるんですね?」

K氏は「なる」と答えた。

私はどう為になるのか理解できなかったが、給料をもらっているという負い目もあり最終的にはOKした。


フタを開けるとヒドイものだった。

出番は一番盛り上がるビンゴ大会のすぐ後。マイクはVoの一本だけ。

ギターなんて聞こえない。なおかつ司会の紹介は「カマタケンジ」だった。

いかに打ち合わせがなかったか。マネージャーが無能なのかを物語っている。

唄っていても、客は酒が入ってるし、ビンゴの余韻は残ってるし、

聞いてるヤツなんてほとんどいなかった。

つらかった。かえりたかった。


そして大合唱になる予定の最後の曲になる。

私はカポを5つぐらい上げて誰にも唄えないようなキーにして唄ったのだ。

せめてもの抵抗だった。


船を下りた後、K氏に怒りをこぼしたが、「また浦田の怒りがはじまった」って感じで、

顔には表情もなく、ただ儀礼的になだめるだけで

「これから人と会うから」と言って(たぶん私に付き合ってられなかったのだろう)

もう一人の(仲良しの)マネージャーと帰っていった。

(きっとそのあと2人は私の悪口でもちきりだったのだろう。)

(そういう人達だった。)

それでも私は頭を下げて「おつかれさまでした」と言ったのだ。

あれは一生忘れない。