切なかった2つの別々の“一日”

― おもちゃのハンドル ―

それは小学校の1、2年の頃。
外から家に帰ってくると、いきなり母親がオレに言う。
「金町に行くよ」
“金町”とは、寅さんで有名な葛飾・柴又の隣町にあり、
おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる母親の実家でもある。

気配は感じていた。
夫婦喧嘩をしていたのだ。理由は知らない。

母親から急かされ、オレは父親から手渡されたひとつのおもちゃを抱え、母親と共に家を出た。

そのおもちゃは、ゲームセンターにハンドルとアクセルとブレーキがついてて自分で操縦する
レースとかのヴァーチャルゲームがあるでしょ?あんな感じのチープで子供だましのもの。
確かオレが欲しがってて、父親が「明日買って来てやる」とか言って約束どおり買ってきてくれたもの。
オレはそれが早くやりたくて、楽しみに家に帰ってきたと思う。

そして金町の家に着いた。
オレはどこかで「もうパパ(子供の頃はそう呼んでた。パパとママだ。)に会えないのかもしれない」
と感じていた。

そしてその哀しみの中で、そのおもちゃを開封して遊んだ。
パパのことを思いながら。
広い部屋にも関わらずタンスに向った片隅でやってたことを覚えてる。
いくらやりたくてしょうがなかったおもちゃでも、無邪気に楽しめるわけはなかった。

そして、遊び始めてすぐ。ほんとにすぐ。
無理な力が入ったのか、プラスティック製のハンドルの軸がポキリと割れてハンドルごとはずれてしまった。
呆然とした。
もう会えないかもしれないパパに買ってもらった、最後の思い出となるおもちゃをほんの数分で壊してしまった。

哀しくて泣いた。
「パパのために泣いてる」と思われると、「健志はパパの味方をしている」とママが思って哀しむかもしれないから、
誰にも気づかれないようにして泣いた。
パパの哀しんでる顔を想像しながら。
折れたハンドルを手にして「パパに悪い・・・」と思って泣いた。

切なかった。



― 凧上げ ―

おじいちゃんはとっても手先の器用な人だった。
日曜大工が得意という程度のものではなく、
畳を縫ったり、彫刻彫りの鴨居を自分で彫って設置してしまうような人だった。
“何でもやりたがり”の血はひいてると思うけど、“器用”な点はまったく追いついていない。

小学校の3年ぐらいだったかな?
正月におじいちゃんが突然ふらっと家に来た。
凧を片手に。

それは竹組みから模様まで全てがおじいちゃん自作の凧。
そして力強い字で「龍」(オレの干支)と「健志」という文字。

早速、屋上に上がって凧上げ。

子供の凧上げなんて、糸を2〜3m程度伸ばして、走った分だけ空中に浮いてるってのが相場。
ところがおじいちゃんは凧上げの名人でもあった。
「たけすぃ〜 (おじいちゃんは「たけし」をこう発音していた。
「欲しい」を「ほすぃ〜」と発音する“今どき”の感じだ。いや、実はちょっと訛ってる)。」
「ほら、たけすぃ〜貸してみろ」かなんか言って、おじいちゃんがその自作の凧を手にした。
おじいちゃんが上げた途端、凧はするするぅ〜っと糸を伸ばし、みるみるうちに空に舞い上がっていった。
今思えば、その距離は100mにも満たなかったかもしれないけど、
その時は2、3Kmは先にあるように感じられたように思う。

そして、おじいちゃんから糸巻きを手渡され、やがておじいちゃんは部屋に戻り1人になった。
とにかく、そんなに遠くにある凧の糸を手にしたのは初めてだった。

正月早々、凧の「健志号」が雄大な空に舞い上がっている。なによりも高く。
縁起が良い。
ものすごくワクワクした。

うそだ。恐かった。

このままの状態で上げ続ける自信がなかったし、なによりも「電線に引っかかったらどうしよう・・・」
なんていう不安な考えばかりがもたげた。
臆病なオレは早々に糸をたぐりよせた。
「オレって、情けないなぁ〜。笑われちゃうかな?」と思いながら、
恐怖と戦いながら手繰り寄せていた。

そして、その途中。
突然、手ごたえが無くなった。糸がプツリと切れた。
凧は放物線を描きながら・・・かどうかは忘れたけど、さらに遠くなりながら視界から消えていった。

自分の情けなさと同時に「おじいちゃんに悪い・・・」という気持ちでいっぱいだった。
おじいちゃんのの哀しむ顔を想像しながら。

切なかった。

あの凧はどこへ落ちていったんだろう?



という2つのことを、沢木耕太郎の「無名」という本を読んで思い出した。