未成熟

嫌な夢をみた。

友達に嘘をついた。
そしてそれを“裏切り”だと感じた。

でも、その前にそれと同じ感覚のことをその友達にされてたんだ。
“嘘”、“裏切り”。

だけどオレは、自分自身のそれを責めた。
(そんなオレでよかった。)

その夢の途中で目が覚めたんだけど、とにかく後味が悪い夢だった。
今日一日、そのことばかり頭をよぎってた。


今、「浦田健志クロニクル」と題したライヴをやっている。
「Vol.1」をやった時も言ったんだけど・・・昔書いた曲からセレクトするでしょ?
もちろん、今と比べたらクオリティーや言葉の選び方なんかは稚拙だったりするんだけど、
“信じてるもの”って今でも全然変わらないんだよね。
きっと、その頃よりちょっとは成熟したモノの見方が出来てるとは思うんだけど。

なんかね、少し安心したんだよね。
「あ〜、オレだったんだなぁ〜」って。
だから今でも“唄える”って思ったんだよね。


きっとね、その“信じてるもの”が強くあるうちは、避けて通れないものがある。
それは“孤独”。
オレはずっと、どっかで抱えてきたな。
でも、それも自分で選んできたことなんだ。
その夢で自分を責めたようにね。


最近、J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」が村上春樹の訳で
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」として新しく出版された。

その中にこんな言葉がある。

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。
その一方で、成熟したしたもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」

オレはいつからか、“死”というものを傍らに感じて生きているところがある。
「ライ麦畑でつかまえて」も何回か読んだけど、今回の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んで
「あ〜、なるほど〜」と思った。
「こういうことだったのか」って。

結局、まだオレは“未成熟”なんだ。
しかも“しるし”が付いてやがる。

あ、言っておくけど、これは別に“予告”とか“遺言”じゃないからね。
心配しないように。


主人公の名前は、ホールデン・コールフィールド。
彼は永遠に16歳としてあり続ける。
きっと、読んだ人の中には、そこに自分を投影したり憧れを持った人も少なくないだろう。
その中には、もう“大人”になった人もたくさんいるだろう。

ねえ、今どんな大人になってる?
そして君は?

オレはね、ユーモアも含みつつ、全部“愛”で片付ける大人でありたいね。
青臭かったとしてもね。