いや、これは愚痴だ。愚痴。

ここじゃないけど、以前に或るところでこんな文章を見た。


“『闘う人』はイヤだなぁ。勝たなきゃ満たされなくなるもんなぁ。しかし勝つって何にだろうか。”


この人は、どの位置で、何を、言ってるんだろうか?

「闘う」あるいは「戦い」(以下、“たたかい”にする。)=「勝ち負け」
短絡的で人間的な深みが無さ過ぎる。
ま、真意がどこから来てどこに向かってるのかは前後がないから知らないけど。
でも、“しかし勝つって何にだろうか。”
って言ってるくらいだから何かの試合のことを言っているんじゃないんだろう。

「勝利も敗北もないものを求めるたたかい」
こんなものもあるってことを分かって言ってるのかな?。


オレは「不眠症の憂鬱(ブルース)」という歌でこんなことを書いた。

“戦えない 戦わない 大切なSafety Zone守るために
でも陰口叩く言葉は俺が寝静まった時のために”

「戦い」それは「Fight」と直結するものではない。
「葛藤」と言い替えてもいい。
それは「心模様」を指す。


「葛藤」を拒絶して自分の居心地の良い場所(人達)ばかり見つけてそこにココロを委ねる。
そして簡単に心酔する。
そんな生き方もあるし、それはそれでいいけど、
でも、「たたかわざるを得ない人」をそんな観点で訳知り顔で語ってたとしたら不愉快だ。
自分の苦しみだけでは収まりきれないものを誰もが、いやこの人はきっと違うな、誰かは抱えているんだ。
「葛藤」してるんだ。
そんな人の“せつなさ”もわかっていない。

「人の哀しみ」
知らないんだなきっと。
そういうのを“ポジティブ”って言うのか?ケッ。
オレ、いつかここのBBSにこんなことを書いた。
“道端に倒れている人がいて、それを見て見ぬフリをすれば自分に災いは降りかからないけど、
そんなの“ハッピー”とは言わないだろ?”って。

おそらくこの人は“今、一番身近な人(そこには恋心もあったりするだろう)によって
コロコロ変わっていく人”だろうな。
そしてその都度“核”の無い“正義”を纏うんだろう。
“自然体”とか言っちゃってさ。


最近この歌詞がやたら頭を駆け巡る。
尾崎豊の「FIRE」って歌。

“おかしな奴だと マトモな振りした奴らに笑われ続けていても いいのさ
何がこの世で一番大切なのかを知っているのは この俺の方だぜ
だって 自然の醜さを知りながら 心をこめて歌っているんだぜ”


オレね、昨日思ったんだ。
オレが自己表現の手段として出来ることは、
歌をつくること。歌うこと。文章を書くこと。言葉を発すること。立ち振る舞い。
「あらゆる意味で“表現者”と呼ばれるにふさわしい人であろう」って。
そこは真摯に、正直にやろうって。


ま、前出の文章はオレのことを指してるんじゃないけど・・・あ、いや・・・ないと思うけど(に、しとく)、
オレもきっと『闘う人』だろうな。
この人が“イヤ”でも“たたかう”んだろうな。
オレはきっと真実ってやつを求めていくために「たたかう」という心模様を身に纏っていくんだろうな。
ずっとね。

そんなオレを認めてくれる人へ。
うん。誓うよ。

でもね、オレはこんな性質も持っている。
“そこにリアリティーがあれば誰かが傷ついたとしても構わない”ってこと。
でも、きっと自らも傷ついていくんだろう・・・・・。
でも・・・失っても構わないものは失ってもいい・・・・・。
オレは大事だと思ってきた友達でさえ何人も失ってきたんだ。

でも、ホントは失いたくないよ・・・。

だけど、 もう限界だ。
オレが何にも知らないと思いやがって・・・。
いや、これは愚痴だ。愚痴。

愚痴に付き合ってくれてありがとう。
そう、君もね。


「傷ついた男」
これを次に書く。