エルヴィス・コステロを観に行った。

会場前の人溜まりから“なんかおかしい?”と感じていた。
なんと言うか“似つかわしくない感”の人が多く目についた。
なんと言うか、“普通”なのである。エルヴィス・コステロの客としては・・・。
予想はしてた。
きっと今TVでやってるキムタクとさんまちゃんのドラマの主題歌「Smile」目当ての人も多いだろうと。

SHOWが始まった。
当のコステロは「Smile」のようなメロウなものを望んで来ている客などお構いなしのように、
“コステロらしい”アグレッシブな演奏を続けた。
昔からのファンのオレとしては『いいぞー!「Smile」なんか演るなよー!』と思っていた。実際、声にも出したけど。
やはり予想は当たっていた。
初めはスタンディングで迎えてた客も数曲過ぎた頃には着席している所も多く目立ってきた。
盛りあがっているのはステージかぶりつきの前の方と、立たなくても見えるのに後ろの座ってる人を気にしつつ、
意地になって立ってるようなパラパラとした本当のファンくらい。
ファンだったら、絶対熱くなる曲を演っても、「ウォーーーー!」感が足りなかったもんな。
なんか“しらー”っとした、つまんなそーな空気も流れてたところも多かった。
途中で帰ってったカップルもいたしね。きっとメロウな雰囲気のお店にでも行きたくなったんだろう。
“実験的要素”のある曲ではオレもちょっと眠くなったけど・・・。

きっとコステロ本人も「Smile」によってチケットがいつもより売れてることはリサーチ出来てるし、
それを期待して来ている客が多い事も当然把握しているだろう。
しかしコステロは見事にそれを裏切る演奏をしてくれた。
コステロは、別に「Smile」なんかお構いなしで来てくれているファンが沢山いることもわかっていた。
そして、自分のスタンスもね。
それは決して崩さなかった。ファンとしてはそれがうれしい。

昔ね、レイ・チャールズがCMの企画でサザンの「いとしのエリー」をカバーしたことがあってね
(POWER OFJAPAN MONEYだ。)、
その直後の来日コンサートで、そのカバー曲「Ellie My Love」を唄わなかったのね。
オレもそのコンサートには行ったんだけど、ずいぶん“ブーイング”の声は聞いたよ。
でもSHOWは素晴らしかったんだよ。
その時も「いいぞ!見直したぞ、チャールズ君」と思ったね。
決してコマーシャリズムに流されず、自分のスタンスや衝動を確固としている人、
きっとこういう人を“アーティスト”と呼ぶんだろう。
こういう人じゃなきゃ呼んじゃいけない。
“個”の力を感じさせる人ね。

現在の日本の状況で言えば、なんでもかんでもタイアップに照準を合わせて歌を書きそれを唄う人。
もちろん売れることも大切なことだけど、そこにばかり価値観を求めているような人は
“アーティスト”と呼んじゃだめだからね。
“商業歌手”だから。
(馬鹿にしているわけじゃなくて「“アーティスト”とは違う」ということを言ってるだけだからね。
ま、好きにはなれないんだけど。)
例えば他の誰かの売れた曲をサンプルにして「あんなのを作ればいいんじゃないか?」とかの方向性からばかり考えて、
“個”の初期衝動など無い人ね。
ま、全部が全部、そこを狙ってるのはある意味エライと思うけど。
もちろん経済的なことは評価にも繋がるから大切なことだけど、「芸術」と「経済」が同一でごっちゃになってるもんね。

“アーティスト”と呼ばれるにはハードルが高いんだから。
カテゴリーとしての「芸術」と呼ばれるものに携わっていれば“アーティスト”ってわけじゃないからね。
勘違いしてる人、多いよ。ほんと。
なんの衒い(てらい)も無く“表現者”ぶってる人。
そんなんだから「ヒ−ロ−不在の時代」と言われるんだよな。“ホンモノ不在”っつーかさ。
やっぱ、どっか“体質”だからね。“アーティスト”って。

ま、そんなことを考えてた。
ま、オレの基準だから。

「HERO」
そうね〜、オレもヒ−ロ−になれたらいいな。っつーか、なりたいな。
でも“カリスマ”に近い、敷居の高いヒーローじゃなくて、「いつでも隣にいるヒーロー」かな。
別にそれは“アーティスト”としてということではなく、存在としてね。


で、「Smile」。
演った。いやぁ〜良かった。全然アレンジ変えてたけど。
でも「ALISON」にはかなわなかったな。
オレ、涙が溢れるのに2秒もかからなかったもん。