最近の浦田健志の評価

最近よく耳にする浦田健志に対する人物評価は・・・・・

「掴み所がない」「何を考えてるのかわからない」

集約すれば大体この2本立てに収まる。らしい。(ホントによく言われるんだ)
逆に、「この2本立てこそが浦田健志なんだよ」と胸を張って“紹介”までされかねないフシもある。

もちろん、あるポイントではあるにせよ・・・。
でも、実は違う。
こういう評価をする人は、大体大勢の中でしか会わない人だ。
1対1で話したことなどない人だ。

世間(あえて“世間”と呼ぼう)のこういった評価は、本来の(“素”と言ってもいいかもしれない)
浦田健志を形成する重要な要素・性質に的を得ていない。

元々昔からオレは、人によって評価がバラバラなのを肌で耳で知って来ている。
まるで多重人格者のように。

実のところオレはものすごく恥ずかしがり屋で照れ屋だが、そんなイメージを1mmも持ってない人は多い。
こう思われるのは自分の責任でもあることも知っている。
むしろ自分自身が作り上げたキャラクターでもあるのだから。
そこを楽しんでる自分もいるわけで。

何の為にこのキャラクターを存在させたんだろう?
自分を護るため?自分を隠すため?相手を自分に踏みこまさせないようにするバリアー?
いずれにしても、ある意味オレにとってのセイフティー・ゾーンではあるだろう。
じゃあ、何の為のセイフティー・ゾーンなんだろう?
ある程度わかるけど、それについてはあまり深く考えたことなかったな。
その答えなんか今のところどーでもいいや。


「掴み所がない」「何考えてるのかわからない」
オレとホントに親しい人は絶対にこういう評価はしない。
これらの評価について「浦田健志を不当に扱っている」と怒りにも似た感情で思ってくれる人もいる。
「何にも知らないくせに評価するなっ」ってとこだろう。
でもきっと世間も世間なりの“ものさし”で“知ったつもり”で評価してるんだろう。

この違いはナンだろうな?
圧倒的な違いは“垣間見る”というところだろうか。
オレとホントに親しい人に言わせれば、オレは“わかりやすい”と言う。
世間の評価とは逆だ。
キャラクターを作って撹乱させてはいるが、実はその中でもオレは本質を垣間見せている。

そこを嗅ぎ取るか否か。の判断は、
「鈍い」「人を見る目がない」「自分の“ものさし”を何の疑いもなく最大限に信用してる」「他人に関心がない」
この能力の差も往々にしてあるだろうが、
それよりなにより
「浦田健志に関心がない」
こんなところだろう。

垣間見てくれてる人は、きっとオレに興味と愛情を持ってくれてるからだと思う。


たまにね、「いや、ホントは違うんだよ」って口に出して弁護してくれる人もいて、
それはそれでうれしく思うんだけど、
オレはいいの。
「違うんだけどなぁ〜」ってやるせなくなるときもあるし、
時々鬱陶しくなって「キャラ変えようかなぁ〜」なんて思うこともあるけど、
「しょーがねぇか」って思ってる。
自分の蒔いた種でもあるしね。

“オレはいいの”
それは落胆ではない。
それはね、知っていてくれてる人がいるからなんだ。

オレが「ホントは違うんだけどなぁ〜、でもしょーがねぇか」
って、多少おもしろがったりもして落着させるとするだろ?
すると、その場の雰囲気とは違う空気を感じるわけ。近くから。
それはきっとオレにしかわからない。
その時のオレの気持ちと似た色をした空気。
もしかしたらオレより過激な風かもしれない。
「あんたにわかってたまるかっ!」ぐらいの勢いのある風。
だけど「わかんねーヤツには何を言ってもムダ」ぐらいに思ってるし、
“浦田健志もそれを望んじゃいない”ということを知ってるから、その人も敢えて口には出さないんだ。
でも必要があればきっとオレを護るだろう。
口には出さないし、顔を見合わせて確認するわけでもないけど、オレにはその風を感じることができる。
なぜならその風はオレに対する愛の証しだからね。
感じないわけはない。

オレはその風に安堵する。


“イメージはダメージ”。 新キャラ作ろっかなぁ〜?