親父のハナシ。たぶん最終話。

 これを読んでくれてる人は首が千切れるほど頷くだろうと思うけど、
子供の頃のオレは、会う人会う人が「こんな子供が欲しい」と口を揃えて言うほど可愛い子だったらしい。
ムチウチにならないように注意ね。

「松戸でいちばん可愛い」との評判だったらしい
(ま、これはたぶん2.3人が言っただけだろうと思うし、松戸限定っていうのもちっちぇー話だ)。


そんなオレをあちこち連れまわすのが親父の趣味だったらしい。
「俺の息子だ」と言っては自慢気にしていたようだ。
だけどオレは、その「可愛い」の褒め言葉が「女の子みたい」と表現されると、
やおらズボンとパンツを下ろして「女じゃねーよ!」って露出していたらしい。


親戚が集まると、お馴染みの話(オレが「泣きっタケ」と呼ばれるくらい、年中泣いていたこととか)と共に、
今まで知らなかったことも聞くことになる。
親父のことで、このところ集まる機会が多かったから、また知った。


親父は出来る限り毎日、
オレを公園に連れて行って遊んでくれたらしい。
だからたまに、オレが起きる前に親父が出かけてしまうと、パーパーがーいーなーいーーー!
と近所中に聞こえ
るくらい泣き叫んだと言う。

たぶん、遊びに連れてってくれないことを訴えたんじゃなく、
そんなことは滅多にないから「消滅した」ぐらいに思ったんだと思う。
だからそんな時は近所の人が気を利かせてくれて、「ウチに連れてきちゃいな」と言ってくれたそう。
ヒトんちに遊びに行くのも好きだったようだ。兄弟がいなかったからかな。

オレを寝かすために絵本を読む時も面白くして読むもんだから、
笑って目が覚めてなかなか寝なかったらしい。


そんな親父は、母親に「働かないでウチにいてくれ」と言っていたそうだ。
オレが家に帰ってきて「こんなことがあった、あんなことがあった」って話したい時に
誰もいなかったら健志が寂しがるという理由で。

ところがオレは、小学生の中頃になると鍵っ子に憧れていた。
ランドセル、あるいは首からネックレスのようにぶら下げた鍵で、
家のドアを自分でガチャっと開けて入る。そんな憧れ。
だから母親に「よそのお母さんと同じように働いてくれ」と訴えたという。


親父は本当にオレに甘かった。
後々、自分でも気づいたんだけど、過保護とも言えるほど可愛がられて育った。

最新型のおもちゃや自転車、洋服、本、とにかくなんでも誰よりも早く買ってくれた。
駄菓子屋にある当たり付きのガムがあると、当たりが出るまで何度でも、しまいには箱ごと買った。

日曜日にはオレだけじゃなくオレの友達も引き連れ、遊園地や野球場に行ってくれた。
産まれてすぐに母親を、10歳の時に父親を亡くし、
唯一残った肉親である姉とも離ればなれになって親戚に預けられ、
家族というものを知らずに育った親父だから、
1人息子のオレには何ひとつ寂しい思いをさせたくなかったんだろう。

怒られたことも記憶にない。
オレがふざけてシャーペンを投げて足の甲に刺さって血が流れてたって、
笑って何でもない風を装ってくれた。
ただ一度、高校生の時に掴み合いのケンカをしたことがあるけどね。


母方の親戚が集まると、親父を評してみんな必ず言う。「とにかく優しい人」だと。昔馴染みの人も。
その評判に違わず、見かけも物腰も柔和な人ではあるけれど、だからといって善良な人ではないだろう。
引退するまでの親父の職業はヤクザだ。

数人の友達や、カノジョ以外、特に話したことはない。
オレ、そしてオレの家族を変なレッテルで見られるのを恐れてた。
ま、変に見られても仕方ないんだけどね。

だからオレは、グレるわけにはいかなかった。
「ヤクザの息子だから」って言われるのがオチだからね。
それは親父と母親が、もっとも悲しむことだろうから。
親父も母親も、それを家庭に持ち込むことはしなかったし、オレもそれを盾にしたことなど1度もない。
ま、グレる要素なんか無かったんだけどね。
そんなのカッコわるいと思ってたし。

こんなことを公表して親父はどう思うかな。母親も。
いいんだ。もうオレはオレで生きてるから。
親父が入ってた老人施設の人から聞いた。
「生い立ちのせいで家族を養うために悪い道に入っちゃったけど、
家族には迷惑をかけたなぁ」って言ってたんだって。

だからというわけじゃないけど、オレは親父を尊敬したことがない、と思う。
ただ一度、大人と子供が混じりあった混合野球大会をやった時に、
親父がでっかい柵越えのホームランを打った時は誇らしかったな。


それと、最近聞いた話でカッコいいなと思った出来事がある。
母方のおじいちゃんは、オレが中1の時に死んだ。その葬式は盛大だった。
民謡の先生だったおじいちゃんのお弟子さんたち50人程が沿道に花道を作り、
三味線や尺八で霊柩車を見送った。そして延々と沿道を埋める花輪の数。
この花輪のほとんどは、親父が用意したらしい。

結婚前の一時期(ヤクザになる前だと思う)、おじいちゃんの仕事(青果店)を手伝ってたこともあったらしく、
世話になったからという気持ちをそういう形で示した。

葬儀が終わったあとも、若い衆がどこからともなく現れ、
道をササァーっとゴミひとつない状態に掃除して、サァーーっと引き上げて行ったという。
これも親父の指揮。
その時、親父は「俺がやったって言うな」と言ったらしい。
これはイカしてんなと思った。親父、なかなか粋じゃん、って。


先月の9日、そんな親父を納骨してきました。
最初はね、もう籍が違うから遺骨は引き取らずに役所に任せて無縁仏にするつもりでいたの。
だけど、火葬する日の間際に母親がオレに言ったんだよね。
やっぱりかわいそうだからウチで引き取ってあげようよ、と。
その言葉は意外だったんだけどね。
なんせ、親父のせい(浮気だ)で離婚したおかげで、いちばん苦労した人だからね。
もちろん承諾した。
そしてウチに帰ってきた。


これは納骨した日に、親父が死んだ時に香典やらで気遣ってくれた友達に送ったメール文と同じ感じなんだけど。

疎遠だった親父と、死ぬまでの1年ちょっとの間は、また親子に戻れて、
骨になって帰ってきてからは、また元の3人家族に戻れたような気になったよ。
そしてそれが永遠になったんだ。


今日3月8日は、親父の誕生日。
明日は、ピンク・レディのミーちゃんの誕生日だ。