今オレ、自分の歌をCD-Rに焼いてんだ。


あっ、パパだ!

ドアノブを捻る音がすると、そう叫びながらドアに駈け寄って行った幼少時代だったらしい。

昔から何度も聞いたことのあるエピソード。




先週のアタマ、母親に言われた。

「おまえに頼みがあるんだけどさ。 明日、市役所に行ってきてくれないかな」

いいよ、とオレ。母親はこう続けた。

「どうやら親父が死んだらしいんだよ」

たまたま道で会った、病院勤めの知り合いから聞いたという。 「間違いだったらごめんなさいね」と付け加えて。



オレの両親は20数年前に離婚している。その時オレの苗字は『篠田』に変わった。

親父とはそれ以来10回も会っていないと思う。 あ、離婚して数年経った後、何故かしばらく『篠田家』で暮らしてたこともあったな。



親父が死んだ。

今年3月の親父の誕生日。 電話をしてみたけれど繋がらず、どうやら取り外されているよう。

親父が住んでいたアパートに行ってみた。 建物が変わっていて、そこには住んでいないようだった。

親父との最後の接点は去年の震災直後の電話だった。

今年のアタマくらいだったか?何度かオレのケータイに公衆電話からの着信があった。

だけど知っている番号以外はほぼ出ないし、留守電にメッセージも入っていなかったから、ただ通り過ぎた。

あれが親父からの電話だったと思うと悔やまれる。


もしオレが『自然体』の人だったとしたら、その日は落ちこんだ姿を売り物のように無様に晒していたかもしれない。

デリヘル嬢でも呼んだものなら(呼ばないけど)、豊満な胸に挟まれながら泣きじゃくっていたかもしれない。
(ま、それも心情に訴えるテクとしては、アリ)


オレは不自然体。

「頑張らなくていいんだよ」なんて常套句をほざく連中には中指を立て続ける。


ホントはどっぷり沈みこんだまま次の日を待った。

市役所に行った。オレが『浦田』だった頃の古い免許証を示し、息子だと伝えて安否を尋ねた。


生きていた。

C型肝炎に加え脳梗塞にもなって入院。ついでに言うと以前から糖尿もアリ。

退院に至る頃には認知症が認められ、1人では生活できないと判断され老人ホームにいるとのこと。


認知症。信じられなかった。 あの明瞭な親父が。

でも生きていた。もう一度会える。それだけでもだいぶ救われた。


母親に報告。

「一緒に行こうか」という母親に、「もうオレのことも判らなくなってるかもしれないぜ。とりあえずオレが行ってくる」

そんな親父の姿に、いきなり直面させるなんてことはできなかったんだ。


認知症なんて珍しいことじゃない。

そう自分に言い聞かせながらも、泣きそうになる気持ちをグッと抑え、祈るような想いでホームの門をくぐった。


4年振りくらいの再会。

「おー、健志かー」

判った。 優しい声。 嬉しそうだった。

母親の名前も口にした。 記憶もあり、会話もちゃんとできる。 

声は、昔から電話でよく間違えられるほどオレと似てるんだ。 ただ語気は弱い。

急激な速さで歳をとっていた。 筋肉質だった身体も細く小さくなっている。 

いつでもパリッとしていた親父の姿はそこにはない。 すっかり老人風情(ちなみに75歳)。


そしてもちろん認知症。哀しくなる場面はある。 

遠くない将来、オレのことを判らなくなる日も来るだろう。



会いに行ける日は、なるべく会いに行ってる。 美人ヘルパーさんもいるしね。

CDラジオを買った。

親父はオレが創って唄っている歌を聴いたことなどなかっただろう。

最後の記憶の中に残っていて欲しい。歌は息子のオレそのものだから。

1曲目『遠くまで手を振るように』 2曲目『Smile』

家族を唄ったものだ。 歌詞も用意した。





「あ、パパだ!」

今回、親父とおふくろの両方が別々に、このエピソードをまた口にした。


親父はその光景が見えていたのかもしれない。 遠くを見つめるようにして語る、その目線の先に。