2011.03.11
 
あれから半年か。

東日本大震災。

被害にあった人や土地、また復興や国や政治についてではなく、
あの日の自分のことを覚えておくために、あの日の自分のことを書きます。


あの時、オレは日比谷にあるビルの7階で仕事をしていました。
      とにかく揺れた揺れた。フロアーがぐるんぐるん回っていた。
ぐらぐら揺れて倒れてきそうな棚を押さえながら、このままビルが倒壊するイメージが浮かんだ。
      「終わった」と思った。

窓からは、駅間で不自然に止まっている新幹線。無秩序に渋滞しているように見える車道。広場に集まり上を見上げている人々が見えた。

      少し落ち着いた頃、母親に電話をかけた。
呼び出しもしない。 その行為を何度も続けた。

 auは通じると聞き、持っている友達に電話を借りた。通じた。けど留守電。
      (オレはauとiPhoneの2台持ちなんだけど、この日に限って電波に強いauの方を家に置きっぱなしで出かけちゃったんだよね)

 留守電にメッセージを残し、メールも送り(これはiPhoneでも送れた)、待った。
でもいつまでたっても返信がない。何度もメールを送り続けた。
 
      そして、この夜はD-sui5のリハ予定だった。
      メンバーにもメールを送る。
      「電車、ダイヤが乱れそうだから今日は中止にした方がよくない?」くらいの感じで。
      まだあんな大惨事になっているなんて思ってもいなかったんだ。
本音を言えば、母親のことが心配でリハどころの気分じゃなかったんだけど。

      しばらくしてメンバーから同意見のメールの返信が来た。
      それだけに、まだ返信のない母親のことが気にかかった。
   

      とにかく、今は電車が復旧するのを待つしかない。

誰かのワンセグに映し出される東北地方の惨憺たる被害映像。
またそれでも対岸の火事のような気持ちだった。
そして、ほどなくして本日中の首都圏の電車運行停止決定ニュースが入る。


      余震が心配だから動かないでここにいた方が安心、という意見もあった。
      だけど、オレ自身の安全なんてどーでもいいと思っていたし、この場所にいても意味がないと思った。
      オレには守りたい人がいた。
      21時過ぎ、リハのために持ってきたギターを置いてビルを出た。
      とにかく、まずは家(実家がある松戸)に帰ろうと思った。
      家の状態も心配だった。


      まず、有楽町駅前のビックカメラに向かう。  自転車を買おうと思った。
      しかし、早めに閉店。 もちろん地震のため。
     
      次、秋葉原にあるドン・キホーテだ。
     
      でも途中でで気付く。
      あれ?母親の働いてるとこって近くないか?
      何度か書いたことのある書類の住所を思い出した。
      会社の名前も何度か間違えながらどうにかiPhoneで検索。
      歩いてきた道を引き返して会社に向かう。

      道は歩く人で溢れかえっている。スーツ姿でヘルメットを被っている人も多い。誰もが不安に歯を食いしばっている様相。
      そんな異様な光景の中を歩いた。 『空襲』という言葉が浮かんだ。
そこでやっと「とんでもないことが起こっている」とリアルに感じたのかもしれない。この東京でも。

      母親が働いている会社に着いた。
      社員の人に聞くと、ここじゃなくて別の支所とのこと。
     もう 秋葉原へ続く道とは外れている。

      着く。
      誰もいない。
      途方に暮れる。
     
      ビル前に公衆電話。  母親のケータイにかけてみる。
      繋がった。 声を聞いた。 一瞬。 
途切れて切れた。

      もう1度かける。
     繋がった。 会話をした。
      茅場町から上野まで歩いて、上野にある別の支所で避難しているとのこと。
      地下だから電波状況が悪かったらしい。
   
     やっと 安心した。
     
      言った。
      これから松戸まで歩いて帰って車で迎えにいくから、と。
     
      どんなことがあっても絶対に迎えにいこうと思った。
     
      歩く。
     
      途中、ケイタイのバイブが鳴った。
      電話ではなくSkype。 でも知らないID。  取ってみるとバンドのメンバー。

      「ケータイ繋がらないからSkypeですよ」

      安否を心配して、1度も通話したことのないSkypeでコンタクトを取ってくれたんだ。
      すっごく嬉しかったし、興奮した。 なによりも心強かった。
ケータイの充電が心配だから地図を見ずに、今いる場所がどこなのかわからないまま、
『とにかく松戸の方角へ』と、勘だけで歩いていたからね。
    まるで荒野に1人ぼっちでいる気分だったからね。


      どこかの焼き鳥屋さんの前で人が5,6人集まっていた。
     通りの人にも見えるように向けた 店のTVから半蔵門線が動き出したとの情報を得る。
       人の流れのままに歩く。
      半蔵門線・清澄白川駅に着いて電車に乗った。
      終点の押上駅までわずかだけど3駅稼いだ。
     
      そこから水戸街道まで出て、あとは道なりに行くだけ。

      ひたすら早歩きで歩く。
      誰ひとり抜かされることはなかった。そのつもりで歩いていたしね。

     車道ではバスも走ってはいたけど、歩いている方が早い状態の渋滞。

       途中で自転車屋があった。
      普段は夕方過ぎには閉めてしまいそうな老夫婦が営んでいる『町の自転車屋さん』って感じの店。
      購入のための整備待ちが10人程並んでいた。
      ワリと高価な自転車しか残ってない。 だけど「もう買っちゃおう!」と思って列に並んだ。
     
      ふと、整備をしているオッサン(で、いいの)を見ると、なんとなく、ほくそ笑んでるように見えた。
 「儲かってしょうがねえよぉ〜」みたいな。

      こんな一大事の時に!と、それはムカついた。
      列を離れた。
     
     この先の道すがらにドン・キホーテがある。次にそれを目指した。
     
     ドン・キホーテ、 自転車完売。
     
     だけど、 なんかないか?と店内に入る。
      たとえば、子供がよく履いている、靴にローラーが付いているやつ。
     
      で、見つけた。キックボード。
けど、『体重制限50Kg』と書いてある
「大人じゃツライっすかねぇ?」と店員に聞く。 店員、苦笑い。 

棚の一番上に、もう1つ見つけた。
      しかも、ちょっと高いやつ。
      ペダルで加速できるローラースルーGoGoタイプのやつ。
「こんな時に、まからんのか?もしくはタダで支給とか?」と思いながらも迷わず買った。
14000円。 ママチャリ買える。
     
      これ↓ 『JスルーGoGo』



これでキックボード2台持ちとなった。

が、このJスルーGoGo。 いやぁ〜、早い早い。
      爆走した。
      JスルーGoGoのおかげで、たぶん2時間くらいは稼げたんじゃないかな。
     

日比谷から5時間半かけて家に着いた。
      途中で家の電話にかけてみたら留守電に繋がったので火事の心配はなかった。
      それでもドアを開けるのが怖かった。ひどい状態だったら母親が悲しむと思った。

      祈りながら、意を決して一気にドアを開けた。
      冷蔵庫の上に置いてあった物が落ちているくらいだったので安心した。
      ただ、整理整頓が出来ていなく、モノがやたら多いオレの部屋はひどかったけどね。
      レコード盤、CD、本が散乱してて、シンセが台から落ちていた。ま、目を覆うほどでもない。
     
      その安心を元に、車に乗って母親の待つ上野に向かった。
      東京方面への道はワリとすいていて、普段の昼間より早い40分くらいで着いた。
     
      アサ子、確保!
      抱きしめはしなかったけど、思わず肩を抱いた。
      ホッとした。
      そこまでオレはヒーローだった。
      母親を守るためだけに存在するヒーローの気分だった。
     

      母親を車に乗せて帰路に向かう。
     
     運転中、 やっと取り戻した充電たっぷりのauで、父親や親戚、友達に電話をかけまくって安否を確かめる。
夜中の4時過ぎに何度もベルを鳴らしてゴメンよ。時間の感覚がなかったんだよ。
愛してるってことで許せ。
     

      空いてる道空いてる道、と選んでも、どこでも渋滞にぶつかる。
   途中、ガソリンがヤバくて、ちょっとした下り坂ではエンジンを切って惰性で前に進めた。あせった。
それでも、朝になって続々と入ってくる友達からのメールや電話は力になった。

   朝の11時過ぎ、家に着いた。上野から8時間もかかった。
     
      日比谷を出てから再び家に戻るまで14時間もかかった。
     
爆睡。



      未曾有の大惨事の中、無かった方が良い経験だけど、この経験には価値があった。
     
      大切な者を守ろうとする意思。
      それは、親でも恋人でも友達でも、必要とされてると思えばオレの場合さほど変わらないと思う。
     
      その意思があるからこそ、自分がいられる価値があるんだと再認識した。
   



      JスルーGoGo。
     
      余震の心配があると言われた1週間程は、どこへ行くときも持って出かけた。
      なにがあっても、それで駆けつけられると思ったからね。
     


      40過ぎの男がキックボードを手に電車に乗ってる姿。。。みんな見てたよ。

     
      いや、イカしてるな。