キヨシロー

RC サクセションを初めて観たのは、1979年の西武球場。
いろんなアーティストが出る、夏フェスだった。
違うアーティストを目当てで観に行ったんだけど、そこでヤラレてしまった。

それから「RHAPSODY」というライヴアルバムになった久保講堂(霞ヶ関にあった)でのライヴを皮切りに、
1984年ぐらいまでの東京でやったライヴは網羅するほど、RCにのめり込んだ。

それ以降からRCとは縁遠くなったけど、もちろん、それまでのアルバムは全部持っている。
次に聴いたのは1987年に出た「RAZOR SHARP」という初ソロアルバムだ。



チケット。これしか見つからなかった。



でも実は、オレが一番好きだったのはキヨシローではなく、ギターのCHABOだった。
コーデュロイのパンツを買って、それに缶バッヂをいっぱい付けて得意になっていた。
当時のCHABOのスタイルの真似だ。


考えてみたら、のめり込んだバンドで、ヴォーカリストを差し置いてギタリストが好きだってバンドは、洋邦問わずRC以外にいない。
ファンではあったけれど、キヨシローは憧れの対象ではなかった。

なぜ、憧れの対象ではなかったか、と言うと。
それは、「オレはキヨシローにはなれない」と、わかっていたから。
『真似はできても、真似止まり』ってこと。

他に好きなアーティストは真似してきた。真似ができた。そこから自分のスタイルを探してきた。作品も含めて。
だけど、キヨシローは違った。
「無理だ」と。

それほど、キヨシローは唯一無二だったってこと。



だけど、キヨシローに影響を受けた“ひとつ”がしっかりある。

のめり込んでた頃に出た、RCの「愛しあってるかい」という本の中に、Q&Aコーナーがあったのね。
「アルバイトをしたことがありますか?」という質問に対して、キヨシローはこう言った。

「バンドマンは、アルバイトなんかしちゃいけないんだぜ」

どういう意味なのか悟った。自分なりに解釈した。
それは言葉通りの意味じゃない。

夢を売るロック(ポップ)・スターが、そんな裏側(私生活)の苦労話を語ってどうするっ!

ってこと。


キヨシローは、死と隣り合いながらも最期までそれを貫き通したね。



それも含めて、オレがキヨシローに何かもうひとつ言えるとしたら、こう言う。

「『STAND BY ME』(ダ〜リン、ダ〜リンのアレね)は世界中の人がカバーしていて、僕も何度となくやっているけど、
エンディングの処理はキヨシローがやったバージョンを真似しています」と。




そして、ついでにこれも言おう。

今、あなたに対して思い入れのないような人が、“ネタのために” あるいは “自分のヒューマニズムを誇示するために”かわからないけど、
公開のための日記で書いている人が沢山います。

ニュースソースだけの情報で「すごい人」だとか「ありがとう」とかまで。
僕はそれをシニカルな目で見てますよ。 

「それって、キヨシロー的でしょ?」って。





愛なき場所に反骨は存在しない。