歴史的発見をしたかもしれないのだよ!その2

前回書き始めてはみたが、な〜んの反響も無く・・・。
もちろん、研究家からの「私とルーブルに行かないかい」というお誘いもない。
でも私(今回は学者口調の“私”でいく)は挫けないのだ。書く。


では、まずはその答えだ。

マリアの左内腿のあたりに見えるではないか。(見える?)
ダ・ヴィンチの自画像のような、または聖骸布の顔が。(わかる?)
膝頭側を頭頂部として見る。つまり横向きでこちらを向いている。
書籍やWEB上でこの絵をいくつか見たけれど、それによって見え具合は違う。
もちろんルーブルに掲げられている本物とも違うだろう。

もちろん「自画像」又は「聖骸布」の像がそのまま写し出されているのではない。
「自画像」と「聖骸布」、どちらもダ・ヴィンチ自身だという説があるように、
当然として類似点があるのだろう。
その類似点が交差する印象が像となって浮かんでいる。
そして、その像はマリアに内包した形で浮かび上がっていることも見逃してはいけない。


そして、仮説をたててみる。
ここからが、論文である。


ダ・ヴィンチは私生児として生まれた。
母親(カテリーナ)の元で育てられていたが、4歳の時に父親によって強引に引き取られ、
母との間を引き裂かれてしまったという。

また、ダ・ヴィンチは「同性愛者」「性同一性障害」とも言われている。
安易に推測してしまえば、それは幼少時の母親との別離のトラウマがもたらした産物でもあろう。


絵画のみならず、人体の研究家でもあったダ・ヴィンチ。
人体解剖も行っていて、後年は女性ばかりを解剖していたらしい。
その研究家のダ・ヴィンチにしては不自然とも見えるマリアの形。
そして、マリアの腹部を被うように巻きついている布、これをメタファーとしての胎盤だと推測する。

それに対する、岩盤に描かれているという胎盤と胎児。
ダ・ヴィンチは自己の幻想の中、実際としてのマリアの胎盤とそこに宿る胎児を放棄したのだ。

ダ・ヴィンチのメッセージはこうだ。
「そっちではない。こっちだ。マリアの中にいるのは私だ。」

マリアという“聖なる母”、そこに自分の母親を投影しているのだ。


では、検証してみよう。

マリアに宿るのがダ・ヴィンチだとしたら、ダ・ヴィンチはキリストという図式になる。
キリスト=ダ・ヴィンチ。
ここでまた「聖骸布」に戻る。

「聖骸布」のキリスト像を自分の像にして作成したダ・ヴィンチ。
ここに意味がある。
この「聖骸布」が発見されたのは、ダ・ヴィンチ死後遥かのこと。
あれほど絵画に“謎”を残した人物なのだから、
これが発見された時の人々の混乱や興奮は予想下にあったことだろう。

発見時、人々はそれをキリストとして崇めることになる。
実際そうなった。
しかし、その姿はキリストではなく、ダ・ヴィンチ。
すなわち人々はダ・ヴィンチを崇めることになるわけだ。

キリスト=ダ・ヴィンチ。
ここでダ・ヴィンチの企ては成立した。

だが、ダ・ヴィンチの目的はキリストになることではない。
自己の作品を、“謎”を散りばめながらリンクさせたことにすぎない。
最終的な本位は別のところにある。



世界一有名な絵画「モナ・リザ」は誰もが知ってるだろう。
モナ・リザは誰なのか?という最大の謎はさまざまな説があるが、一致した解答は未だに得られてはいない。
これも「ダ・ヴィンチ自身」という説がある。
ダ・ヴィンチの自画像を反転させてモナ・リザの顔に重ね合わせるとピッタリ符合するという。


「モナ・リザ」という作品名もダ・ヴィンチの死後に名づけられたらしい。
すなわちダ・ヴィンチ自身が命名したものではない。
そしてもうひとつ重要な説が、この「モナ・リザ」は妊婦だという説。

自画像と妊婦。
同性愛者だから?性同一性障害だから?
違う。

自分が女性になりたい憧れや、錯綜、倒錯の中から生まれたものではない。
そこには、同性愛・性同一性障害になった原点と思われる母親カテリーナに対する憧憬がある。

まだ写真もない時代、おそらくは顔さえも憶えてないだろう母親の顔を描く時の手立ては?情報は?
それは母親のDNAを汲んだ自分の顔に他ならない。

「モナ・リザ」にモデルはいない。
「モナ・リザ」はダ・ヴィンチが生み出した想像上の母・カテリーナだ。
そして、「モナ・リザ」のお腹の中にいるのはダ・ヴィンチ。

ダ・ヴィンチの最大の目的は胎内回帰だ。
母・カテリーナに対する、見果てぬ愛情への渇望。

ダ・ヴィンチを同性愛に向かわせたのは、憧憬の中の母親ただひとりしか愛せなかったからではないだろうか?
「聖なる母」はマリアであり、同時にカテリーナでもあったのではないだろうか。


ダ・ヴィンチが売却せず、死ぬまで手放さなかった絵画は何点かあるが、
「聖アンナと聖母子」「モナ・リザ」もそのひとつだったという。



というような発見をしたわけである。



そして!

この大発見の後、新たな1枚の絵に出合った。
ダ・ヴィンチの「バーリントン・ハウス・カルトン」(カルトン=下絵という意味)、
又は「聖アンナと聖母子、幼児の洗礼者ヨハネ」と呼ばれる作品。


この未完成の作品は「聖アンナと聖母子」以前に描かれている。
おそらく、この「聖アンナと聖母子、幼児の洗礼者ヨハネ」を下敷きに
「聖アンナと聖母子」を完成させたのだろう。

同じ構図の中での決定的な違いは「聖アンナと聖母子」でキリストの位置に居るのがヨハネという点だ。
そしてキリストは私が発見した位置にいる!
しかも、マリアと継ぎ目がなく、まるで同化しているかのように・・・。

この絵に出合って、私は私の説を確信したのだ。


すると?

「聖アンナと聖母子」のキリスト。
実はキリストではなく、ヨハネ?
タイトルに「キリスト」がないのも、そもそも怪しい・・・。
なんてことに転がっていくが、そこまで研究熱心ではないので進めない。


ダ・ヴィンチのミステリー。
全ては想像・推測の域を出ないものであろう。

そして芸術は、そこに触れる人それぞれの解釈で触れられるものである。
しか〜し、
いや、だからこそ、そこに“真実”を散りばめておくのがアーティストだということも忘れてはならない。



最後に、もう一度断っておきますが、
私は絵画についてはまったくの素人です。
そして、誤った情報を書いてしまったかもしれないし、すでにこの推理が出展済みかもしれません。
だとしても、何かを侵害する目的で書いたのではないことはお断りしておきます。

同時に、キリスト及び教団へのひいき又は冒涜、
そして、ダ・ヴィンチに対しての冒涜をする意思・意図もまったくございません。
宗教的な観点は元々持ち合わせてないし。

これを読んでいる君も、君がどこを信仰しててもいいのだよ。
私はそんな観点でものを言ってるのではないのだから。誤解なく読んでくれ。
オレはキリスト教の友達だっているし、創価学会の友達だっているし、
何宗か知らないけど寺の娘だって友達にいる。


そして、これを書くに至り、私もいろんな著書を参考にしましたが、著作権を侵害するつもりはないし、
侵害はしていないつもりです。

最大のミステリー、誰もがそこに挑む権利はあるじゃないですか。ってな感じです。


ここでは、詳しい生い立ちや、作品の年代、誰に依頼されて製作されたのか?などは敢えて書いてません。
そこらへんは、研究家さん達の著書と合わせて読んでみると、もっと面白いかも。
最近読んだ中では、北川健次氏著『「モナ・リザ」ミステリー』がおすすめ!


しか〜し!
この、もしかしたらの新説。
研究者の方、ご一緒しませんか?まだ募集中ですっ♪

私をルーブルに連れてって〜。


来月あたりに『「ダ・ヴィンチ・コード」の真実に迫る!』みたいな特番をやるらしい。
米倉涼子の司会で。
きっと「モナ・リザ」に似せた髪型でやるんだろうな。
でもオレは、やっぱ木村多江だなぁ〜。
だってちょっと「モナ・リザ」に似てるじゃん。
ねっ、多江ちゃん! 好きです。