自分のことは棚に上げて。

ここ最近ずっと思っていたのです。
いろんな人のライヴを観に行ってもおもしろくないのです。

なんだかね、“観客寄り”なんだよね。やり方が。
コミュニケーションのとり方が過剰なのが多い。
さじ加減が多いの。砂糖大さじ2杯ぐらい。

なんだかね、“芸者”を感じるんだよね。
(別に“芸者さん”が嫌いでも、職業差別してるわけでもないです。ミュージシャンの意識の問題として。)

ま、「俺らは勝手にやりたいことやるぜっ」ってな感じでツッパってるのよりはいいけど。
観客がいることをちゃんと意識してて、スタイルとして成立してるならいいんだけどね。
只のファッションだと、ちとしょっぱい。
内輪でやられてもねぇ?って感じ。


オレは、歌を書くこと唄うこと、それはストリッパーのごとく思っている。
精神的なストリッパーってところか。
「見てよ。これ、オレだから」って感じ。
表現の手段として、“ストリッパー” と “芸者” とはオレの中ではカテゴリーと距離感がまったく違う。

それ相当のコンセプトをもったパフォーマンスとしての “芸者” ならいいんだけど、
(米米クラブなんか、いい例だね。)
そうではなく、「こんなにフレンドリーでいい人なんですよぉ〜」みたいな、
腹黒さに近いアピールが、見え隠れしてると吐き気がします。
「そんな奴じゃないくせに」って人、何人か知ってます。

「さあ、みんな一緒に〜」ってのも、さじ加減によっては苦手です。
(オレは昔、某・HDというバンドが好きでよくライヴに行ってたけれど、
売れた有名な曲のサビで全員が全員、こぶしを振り上げたのを見て気持ち悪くなって、
それ以降行かなくなった。)

ま、方法論の違いだから何とも言えないけど。(←言ってるじゃん!)

ステージもそうだけど、歌自体もそうだよね。
南こうせつ氏が言ってました。
「歌が売春婦になったらダメだよ」と。

最近だとホームページなんかもそうかも。
ホームページも表現の手段だからね。



オレが感動して、尚且つ求めてるステージはね。
何かにつけてよく例に出すんだけど。
中島みゆき嬢を観に行った時のこと。

やっぱ、どっかで先入観があったわけですよ。
「ダサくて暗い奴ばっか来てんだろ」って。
ま、特にダサくもなく、普通だったんだけど。
いや、そりゃおしゃれでかっこいい人だっていましたよ。(と、一応フォロー。)


そんな(誤った)→(フォロー)先入観の中で、周りの観客にも興味があったわけです。
「どんなリアクションをするんだろ?」と。
そこでオレは、右ななめ後ろの席にいる、あきらかに1人で来ている女子に着目した。
きっと、「独りでも見たい」と思ってチケットを手に入れたファンの中の1人なんだろう。


後半、ノリのいい曲が始まり(「南三条」という、オレが好きな歌だ)、普通に大抵の人が立ち上がる。
その女子は座ったまま。

そして思う。先入観で。
「う〜ん、やっぱ内向的で立ち上がる勇気がないのかぁ?」
ちなみに、その会場はちょっと勾配があって座っていてもきっと見えるのだけれど。

ちょくちょく、その女子を観察していた。
「南三条」という歌は3番までフルにある長い歌なんだけど、2番のサビ後半あたりだっただろうか?
私は見た!
その女子は「うんっ」と自分にうなづくようにしてから立ち上がった。
オレはそれを見て、鳥肌が立ち(ほんとは忘れた)、涙が滲んだ(これはほんと)。

その女子は、「中島みゆき&みんなの輪」の中には躊躇して入れなかったけど、
「中島みゆきと私」の関係を繋いだんだね。
「1対みんな」ではなく、「1対1」の関係。

オレはそんなコミュニケーションをとりたいと思っている。


別にステージの上で笑いを取ったり、和ませたりしなくてもいいんじゃないか。と。
(ま、そこらへんは“自分のことは棚の上〜の奥の方に上げて”なんすけどぉ。)
みんながみんな同じとこで笑うなんておかしいと思うもん。


オレが伝えたいのは“本質”だからね。
オレは「楽しい気分にさせることがライヴ」とは思ってないしね。
(そこらへんは、「なんか書く・浦田健志を知るための5つの覚書(5)」を参照くださいませ〜。)

「HEY!HEY!HEY!」(ダウンタウン司会の音楽番組)を見てても思う。
みんながみんな面白いこと言おうとしてるもんね。
「こんなにフレンドリーでいい人なんですよぉ〜」って。
そんなにニーズに寄り添わなくてもいいんじゃないか?と。
人と形(なり)は作品とか肉体に宿ってればいいんじゃないか?と。


そんなことを思いつつ、決行したわけです。
2004.11.28のライヴで。

歌・演奏そのものだけを、パフォーマンスとして捉えてね。

アコースティックだからって、“おきまり”みたいに和みのパフォーマンスをするつもりはまったくなかった。
“ソリッド”で、“ざらっ”とした手触りのものがやりたかった。
MCも必要最低限。
(しかし、一瞬笑いを誘おうとしたのは僕の長所でもあり短所でもある。)
照明さんにも「過度な演出はいらないし、色もなるべく使わなくていい」と伝えた。
ヴォーカルのオレがセンターに立つっていう“あたりまえ”も避けた。


生まれて初めてのアコースティックセットのバンド形式で、冒険もしたけど、
(本番直前に決めたこともあった。ま、そんなのオレは“あたりまえ”なんだけど。)
「やったぜ!」っていう手ごたえは多分にありました。
(歌詞を“噛んだ”以外は・・・。あ、間違えもしたか。
でもね、雑誌に書いてあったぞ。「John Lennonは歌詞を間違えるのが得意だった」って。
だからOK !ってわけでもないけど。)


もしかしたら、今までのベスト1のステージだったかもしれない。
その前までのベスト1は、2000年の7月ぐらい(?)にやったライヴ。
Rd “J” Bandの頃、横浜のBB STREETってライヴハウスでやったとき。
4年かかって自己更新したわけだ。

その4年前も“冒険”したんだよね。
曲順はおろか、やる曲も決めないままステージに立った。それをルールとしてね。
アレンジとか構成もその場で変えたりしてね。
ま、オレの頭の中ではちょっとはあったんだけど。
成功するって確信も。

だから、オレがバンドに「イントロはこうやって」って指示するでしょ?
ステージの上で。
でも、全然知らないイントロだからメンバーは何の曲なんだか全くわからないわけ。
オレが唄い出すまではね。
そんな感じ。
でも“セッション”じゃないわけ。ちゃんと成立させなきゃいけないわけ。
オレは“セッション”、嫌いだし。
観ている人がいることを意識しないダラダラした“セッション”はね。


今回ベースを弾いてた「まつながやすし」は、その時にギターを弾いてたんだけど、
もう何回もやってた「LOVE SONG」という歌を、その時のが「ベストテイクだ」って言ってたぐらい。

言っておくけど、何も冒険したことが“填まった”から“ベスト”ということではない。
冒険なんか1人でやってる時も毎回ちりばめてるし。


来てくれた人はどうだった?
あらためて、ありがとう。
オレは来てくれなかった友達よりも、来てくれた君を抱きしめるだろう。
家族として。(ヨン?)

そして、これは前回のリベンジではないです。
1回1回のものだからね。


と、いうことで・・・。
今年はこれが(公式)最後のライヴでした。
今年はほぼ毎月やったなぁ〜。
しかも全部違うことをね。

これからも、冒険も含めて自分のオリジナルのステージ、そして歌を唄っていきます。
別に“おどかし”とか“企画”だけの冒険じゃなくてね。
1対1の関係性が持てるような歌とステージをね。

オレはいろんなアイデアをステージに持ち込んでやってます。
それは「オレが1番最初にやった」とか「オレだけしかやってない」なんて奢りはないけど、
「オレのオリジナルだ」って自負はあるからね。
ま、“笑い”も含めて。