お題「右と左」

小学校の中〜高学年の頃だったろうか、友達4,5人でこんな遊びをしていた。
まず、棒っきれを探す。木の枝とか。
それを上に放り投げて、落ちた棒の先、それが指す方向へと歩いて行く。というものだ。

オレたちはそれを「冒険ごっこ」と名付けた。(なんてシンプルなネーミングなんだ。)
時にはそれを1人でやったりもした。
道が交叉する点にぶち当たる度にそれをやる。
右か左か、そのまままっすぐか、はたまた戻るのか。
「いったい、どこに行くんだろう?」というドキドキが楽しかった。

とにかく、ここじゃない知らないところへ行ってみたかった。
気がついたら同じところをぐるぐる廻ってたり、戻ってたり。
あえて道の無いところ(藪の中とか畑の中とか崖を降りたり登ったり)を選んだりもして進んだ。

見た事のない町並みや景色に触れると少し不安にもなったけど、そんな顔や言葉は吐けるはずもない。
男の子同士の中じゃ“よわむし”の烙印を押されたら一生もんだからね。


その「冒険ごっこ」は、飽きるか明らかにいつもテリトリーとしてる場所じゃない見慣れない町に着いたと判断したら、
たいていはそこで終わる。
(そのあとどうやって帰ってきたんだろう?たぶん誰かに尋ねながらでも帰ってきたんだろう。)

なんか、その帰り道はみんな誇らしげだったように思う。
だってきっと他の同級生は行ったことない町にコドモだけで行ったんだからね。
オレたちだけの秘密にしよーぜ」なんて言ってたな。
きっと、今だったら“車で7,8分”くらいの距離かもしれないんだけど。


あと、こういう「冒険」もあったな。これも小学校の高学年の頃。
その頃、「ローラー・ゲーム」という競技(?)がTVで流行ってた。
多分、昼休みにでもそんな話題が出たんだろう。
3、4人で「学校が終わったら見に行こう!」という事になった。(きっと、オレが言いだしっぺだろう。)
それも親にナイショで。(コドモ同士で行くなんて言ったら反対されるに決まってるからね。)

電車で約1時間。帰りは9時近かったと思う。帰りの電車ではみんな不安になっていた。
「怒られる」という不安。「不良なことをして親に心配かけた」という後悔と自責の念。
そして、「はじめての経験」の戸惑い。泣き出しそうな奴もいた。
「たけしが言い出したんだぞ」と訴える奴もいたような気がする。
案の定みんな、「怒られた」と言ってた。そして後悔。

ところが、うちの親は偉かった
もちろん心配はしてただろうけど、怒りはしなかった。
「心配するから、ちゃんと言ってから行きなさいよ」と言われたくらいだ。
きっとそのあと「ローラー・ゲーム」の話しと「みんな、泣きそうになっちゃってさー」
なんて無邪気に親に話したと思う。うちは、みんな友達みたいな家族だったからね。

あと、こんなこともあったな。小学校1年の頃。夜、親と喧嘩した。
出ていけ!」と言われたオレは初めての“家出”をした。
でも、小1のオレに行く当てなどない。
一時間程だろうか、近所のテリトリーをぶらぶらした後、
すんなり家に入るわけにもいかず、家のドアの前にゴザを敷いて眠った。

そのままの状態で目覚めた時そこにあったのは、
母親がおみやげに買ってきていた「こじき王子」という童話と、掛け布団だった。
そのままで寝かせておいたのはオレの“家出”を尊重したんだね。
きっと何回ものぞきにきたことだろう。


オレはこんな親を持って感謝している。
オレが大人になってからも“右か?左か?”の“人生”という名の岐路を
「えーい!行っちゃえ!」とドキドキしながら「冒険ごっこ」出来るのも、
こういう育てられ方をしてきたせいもあるだろうな。
(たいていは、まっすぐ突っ切っちゃうけど。)

「君の歩んで行く人生という道には、右にも左にも曲がる場所がある。
それを自分で感じとって自由にセレクトしていくんだ。」ということを無意識に教えられたような気がする。

その選択を与えられて育ってきた。

オレは、「冒険」のない人生なんて“つまんない”し、“人間的な懐の深さに影響する”と、思ってるタイプです。
(もちろん、失敗はなるべく避けたいとも思ってるけど。)

いつだってワクワクするような「冒険」ってやつを探してるし、きっと今でも「冒険ごっこ」を楽しめるしね。
(でも言っとくけど、オレは“大胆”な男ではないし、むしろ“臆病”なんだよ。)
(酒の席で脱げるけど、ホントは人見知りで恥ずかしがりやだし。みたいな。)


“右と左”。どっちにでも自由に行ける人生だ。オレはそんな生き方を謳歌したい。


でっかい男になったるでぇぇぇぇぇーっ!



“右と左”。松嵜はどういうことを書くんだろう?
まさか、「俺のチン〇〇は右に寄っている。」なんて書いちゃいないだろうな?
オレは左だ。